中国の新卒エンジニアと人材価値

 前に中国の若手エンジニアの方と仕事で触れる機会があったのですが、その仕事ぶりには考えさせられるものがありました。
 彼は技術に対してとても真面目であり、大学を出たばかりでありながら、確かなソフト開発の腕を持っていました。
 彼自身は普通の学生だったといっていましたが、今の日本の普通の学生では恐らく歯が立たないレベルにあったと思います。同年代で彼と競える日本人は、学生時代に遊びよりプログラミングやソフトの勉強に力を入れるような、ともすればオタクと見なされるような人になるでしょう。
 現地の大学では勉強や開発・実験にお金がかからないということでプログラミングに人気があるそうですから、恐らくプログラミングやソフトの勉強に力を入れるのがあちらのありふれた学生の姿になっているんでしょうね。


 しかし中国では、そういう若くて実力があり真面目な人材を、日本人エンジニアの半分以下で雇えるのだから恐ろしいものです。
 コストと生産性で能力を計るならこれはすなわち、彼らの倍以上の生産性を発揮しなければ人材として割にあわないことになります。しかし彼は効率の良い方法をどんどん構築していく人で、素でハイパフォーマンスでした。そうした現実を見ると、倍の生産性なんてものは極めて困難であると思わざるを得ません。


 ではどうすれば割に合うのか。
 これに関して時々見かけるものは「個々では生産性に限界があるけど、集団として動けば生産性の限界を超えられる」という意見です。
 しかしこの意見はソフトウェア開発にはあまり当てはまらないと思います。というのもソフトウェア開発の世界では、プロセス管理、プロジェクト管理などといった集団活動の知見までも、書籍やウェブ、ソフトウェアなどを介して世界規模で公開されているためです。またマネジメントに関わるツールも、オープンソースという形で無償で多種多様なものがグローバルに共有されています。さらにそういったものは特許や著作権のような法規制で守れません。いわゆる学習の高速道路が、世界規模で整備されている状態です。
 実際彼も、そうしたマネジメントやプロセスの知見を既に身に付けていましたし、独学でどんどん知識を増やしていました。情報を得たりツールを使ってみたりすることが自由にできる状態で、勉強に対して真摯であれば、当然の成り行きといえるでしょう。


 正直なところ、一種の技能者であるソフトウェア技術者という形では、彼のような人達より価値の高い人材になるのはとても難しいように感じた機会でした。これからは、職人として黙々と、既存の手法で、与えられるがまま開発業務をこなしていくだけでは、もはや、ジリ貧になるだけだと感じています。